[“Kogei” in China-3] 中国の若⼿現代陶芸家

[“Kogei” in China-3] 中国の若⼿現代陶芸家

陳 恂浪/Chen Xunlang

2022年6月23日

 今回、筆者は、中国の代表的な若⼿・中堅の現代陶芸家を選択し、簡単に紹介する。彼(彼⼥)らの共通点としては、中国の美術⼤学の出⾝で、かつ海外留学の経験があり、国際的な評価を受けている。前回のコラムで述べたように、中国の現代陶芸は、国際的に活躍する中国⼈作家の影響を受け、国内の主要な美術⼤学を中⼼に発展してきた。6⼈の中には、陶芸専攻の出⾝者だけでなく、油絵や彫刻の領域から学際的なアーティストとしてやってきた作家もいる。ここでは、具体的な事例を紹介し、それぞれの制作動機や表現形式について記していく。


⽅⼒鈞

⽅⼒鈞(Fang Lijun、1963年-)は、中国の89年ニューアートを代表するアーティストとして、同時代のアーティストたちとともにシニカルリアリズム(CynicalRealism)という独⾃の表現を作り出した。特に1988年から⼀連の作品に登場する「坊主のならず者」のイメージは流⾏なシンボルとなったことで、彼は影響⼒の強い中国の現代アーティストだと認められている。「坊主のならず者」という表現は、1980年代後半から1990年代前半にかけて中国社会に蔓延した権⼒の集中化を反映した。その現象に不満が持ち、そこから離れるために隠遁する⽣存法則を採⽤し、そして近づきにくく、孤独者としての「坊主のならず者」のようなイメージが誕⽣した。

《シリーズ2No.3》 油彩・画布 ⽅⼒鈞 1992年[1]


 ⽅は、中国の現代絵画で有名になり、ここ10年の間に陶芸制作を始めた。従って筆者は、彼を中国の現代陶芸家のニューカマーに位置づけた。⽅の陶芸作品は、彼の絵画と同様に特異で、アート制作において⼀般的に求められる「美しさ」を「醜さ」に置き換え、窮屈で混雑した不条理な視覚体験を⽣み出すことを通して鑑賞者に⽰唆を与える。⽅の2016年の陶磁器による塑像作品は、10年前の鋳造ブロンズの鋳型を⽤い、⽣地の鋼と表⾯の磁⼟を1300度で同時焼成し、磁器と鋼がくっつき、磁器が形を変え、鋼が変形したものであった。⽅は、⾃⾝の作品が輸送、展⽰、販売、保管される流れの中で、今にも壊れてしまいそうな作品に対して⼈々が緊張感や居⼼地の悪さを持つことを望んでいる。

《2016陶磁No.1》 陶磁器 ⽅⼒鈞 2016年[2]
《2016陶磁No.6》 陶磁器 ⽅⼒鈞 2016年[3]


 こうした反理想主義的な考え⽅は、⽅の『2013陶磁No.21』(2013年)などの⼀連の陶芸作品にも表れている。紙箱を泥⼟に浸し、それを何度も重ねて焼成した後、「⾻格」であった紙箱が⾼温でなくなり、本来「⽪膚」としての泥⼟が作品の根本的な枠組みを形成することで、焼成のため素材の役割が意図的に切り替えられた。作品のイメージからは、⽴⽅体の磁⼟の塊を通して、補助材料として⼤量に配置された紙箱が⽣み出す空間のオーラを感じることができる。⼀⾒作品は、形がまとまっているように⾒えるが、実際は⾮常に不安定で、それは陶磁器の脆さを表している。⽅は、「外⼒が加わらなくても、作品は破壊されていく。空気の温度が変われば縮んでひびが⼊り、さらにひびが⼊れば崩壊してしまう。いつバランスが崩れるかは、作
り⼿である私にもわからない」と述べている。

《2013陶磁No.21》 陶磁器 ⽅⼒鈞 2013年[4] 
《2013陶磁No.23》 陶磁器 ⽅⼒鈞 2013年[5]
《2015陶磁No.3》 陶磁器 ⽅⼒鈞 2015年[6]
《2016陶磁No.3》 陶磁器 ⽅⼒鈞 2016年[7]

絵画とは異なり、陶芸は消耗品であり、⽣命が完全に衰える過程に対応するものであると⽅は考えている。筆者は⽅の陶芸作品が、鑑賞者に媚びるような⼀般的な美意識に迎合するのではなく、鑑賞者の⼼を絡め取り、普遍的な価値観を⾵刺すると⾒ている。彼の陶芸作品にもシニカルリアリズムの影響が⾒えるが、その意味は、本⼈が書いた以下の⽂章のとおりである。

「物体である以上、(作品は)⼈間の⽣活よりも少し早く、はっきりと変化するかもしれない。少し傷んだ作品を⾒るたびに、かわいそうだなと思うが、⼈は決してこんな⾵に⾃分の⼈⽣を丁寧に扱わないのだろう。⼈⽣にとって最良の状態は、繊細であり続けることである。それは常に少し捻じれており、その捻じれの中に少し喜びがあり、その喜びの中に少し⼼配があるのです。この感性を持ち続けることが、⼈⽣が健康であることを⽰す唯⼀の⽅法である。」

(HP・https://fanglijun.artron.net/


耿雪

耿雪(GengXue、1983年-)は、陶芸を現代美術に取り⼊れた実験的なアーティストで、中国の伝統⽂化に対する情熱が作品に強く反映されている。

元々、陶磁器の⼈形を制作していた耿は、作品を撮影すると、光の加減によって素材のピュアさが⽬⽴つようになり、作品そのものよりも視覚的に強烈なイメージを与えることに気が付いた。そして彼⼥はそのイメージを⽤い、陶磁器をモチーフにした映像作品を作ることを思いついた。ストップモーションの短編映像《海公⼦》(2014年)では、耿がストーリーテリング(StoryTelling)の⼿法と、陶芸の視覚⾔語を組み合わせ、中国清朝の有名な怪談短編⼩説集『聊斎志異』中の⼀つの「海公⼦」という物語を再現した。本稿は10数⾏で語られる短い物語であるが、⾮常に意味深い。主⼈公の張⽣という男は、⼀⼈で東海にある島を旅しにきた。彼が孤独を感じた時、⼀⼈の⼥が現れた。張⽣はこの⼥と酒を飲み、⼆⼈が⾮常に親しくなったが、⼥が突然「海公⼦が来た」と叫んで姿を消した。すると⼀匹の蛇が現れて張⽣を追いかけ、付き纏いながら彼の⾎を吸った。そこで張⽣は毒を持っていたことを思い出し、それを⾃分の⾎に振りかけ、蛇が毒の⾎を
吸い込んで息が切れたところで張は助かった。

《海公⼦》 映像の断⽚ 耿雪 2014年[8]

https://youtu.be/64WfOYr09AY


 耿は作品《海公⼦》についてこのような解説している「中国では、⿓泉⻘磁の純粋な⾊のように、温かみのある磁器の質感を⽟に例えることがよくある。ガラス質の磁器は、光が当たると表⾯に光の流動感が⽣まれるというヒスイに似た物性を持っている。撮影の過程ではあえてこの特徴を⽣かし、素材が反射する光と影の変化でさまざまな雰囲気を表現し、鑑賞者に磁器の表情を感じてほしいと思う。陶芸の分野では、造形づくり以外の表現を試みる例は少なく、映像の分野でも陶芸を主な対象として想定する作品はなかった。両者を組み合わせることで、現代陶芸における創作の可能性を探ってみた。」


 《海公⼦》に登場する磁⼟製⼈形と道具は百個を超える。作品の細部を充実させるため、耿は⼈形や植物の関節をデザインし、その動きを誇張して筋書きをリアルに再現している。作中の不気味な雰囲気は、ライティング、構図、映像編集、そして冷たく滑らかな磁⼟製⼈形の組み合わせによって⽣み出されている。磁器がもたらす視覚的、聴覚的な効果によって、鑑賞者はあたかもその場にいるような感覚に陥るだろう。
 さらに、制作のプロセスを時間的・空間的な再編集して物語として組み⽴て、映像の形で作品も発表している。2015年に完成した『ミケランジェロのラブレター』は15分間の映像作品である。その映像はストップモーションではなく、ドキュメンタリー⾵に作り、陶製⼈形の制作過程を記録していた。映像の中には作家本⼈が登場し、制作の⼿際を披露している。この観点から、この作品は「メタ制作」になり、すなわち制作⾏為そのものを作品として扱い、そのプロセスを創造物と定義することができる。このように、耿は「労働」と「芸術」の本質的なつながり、そして「未完成」の作品がもたらす想像の余地を⾒せてくれた。ある意味で、この制作の意図は現代アートの制作形式が「制度化」されていくことへの批判である。商業と資本の過度の⼲渉のために、現代アートはますます怪しげな「完璧さ」によって特徴付けられ、審美の標準を商品的に導くことにつながっている。耿の制作過程を表にする作品は、アート制作における内⾯の苦難、作家の情熱、未知への恐怖を解き放した。そのイメージは商品のようにある⽤途に従い、完璧にデザインされたわけではなく、逆に完全に個⼈的なもので、⽣命や欲望を持ち、「⽣き物」だと⾒える。

《ミケランジェロのラブレター》 映像の断⽚ 耿雪 2015年[9]

(HP・http://www.galleryek.com/artists/geng-xue/series



吴昊宇

呉昊宇(WuHaoyu、1978年-)は、器とオブジェの両⽅を作る若⼿の陶芸家である。中国・広⻄に⽣まれた呉は、⼤学時代に陶磁器の素材に魅せられて陶芸に転向した。広⻄には⼤規模の陶磁器産地がなく、僻地に原始的な製陶団地が散らばっている。地域のやきものを復興するために、彼はこの地域に根ざし、遠隔地の⺠窯を対象に考察し、現地の粘⼟を調査する上に、素材実験を試し、薪焼成でろくろ成形の茶器を制作した。
 しかし、呉の現代陶芸への取り組みは、茶器作りのような理性的に練り上げる⽅式とは⼤きく異なる。現代陶芸の表現は、伝統的な器づくりとは別で、すなわち⾃由でランダムなものだと考えている。そのため、彼はいつも構想を具現化し、実体化することで即興性が⾒えるオブジェ作品を制作する。
 呉の代表作「新⽯器」シリーズは⼤きな注⽬を集め、アメリカ・マイアミのバーゼルアート展、イギリスのロンドン国際デザインウィーク、韓国の利川国際陶磁器ビエンナーレなど主要な展覧会に招待された。興味深いことに、その作品の誕⽣は偶然であった。2013年の秋のある⽇、作業場に戻る呉は、帰り道にある⾃然に破砕したテクスチャーが魅⼒的なカオリン鉱⽯を⾒つけた。その⽯を作業場に持ち帰り、ろくろの上に置いて観察していると、鋭い線が⽯をまっすぐ貫いているように感じた。下書きもせず、⽯に⽔をかけると、そのまま粘⼟で⽯の⼟台に無意識に形を作り、そして得た造形をそのまま型起こしした。

《新⽯器2014No.3》 磁⼟ 呉昊宇 2014年[10]
《新⽯器2018No.2》 磁⼟ 呉昊宇 2018年[11]
《新⽯器2018No.3》 磁⼟ 呉昊宇 2018年[12]
新⽯器2018No.4》 磁⼟ 呉昊宇 2018年[13]

その後のシリーズでは、⽯と絡み合う形が線や平⾯から⽴体へと変化し、そして⽴体と⽯が引っ張られたり絞られたりしている。呉は、⽯が⽴体を押しつぶすイメージは⼈間の存在のあり⽅と同様であり、作品を通じて、束縛を打ち破ろうとする⽣命⼒を表現したいと考えている。

《邂逅No.5》と創作の下書き 陶⼟ 呉昊宇 2010年[14]

 2008年以降、呉は「⾮思考的」な⽅法、つまり主題や内容を重視せず、ランダムな下書きを通して制作を実現してきた。⾃由で無秩序な流動的な線が、繰り返し重なり合うことで空間的な変化を⽣み出し、そして粘⼟で線の交錯と動きを⽴体化に表現した。呉が即興性にこだわることは、構築されたテーマに基づく現代陶芸の表現⼿段に対して、意識的に区別しているように⾒える。それは彼の環境に対する鋭いセンスに基づき、素材と形のより良いバランスに挑戦しているのではないだろうか。

吴昊宇(茶器スタジオのリンク:https://www.neicundesign.com/filter/HAOYUSTUDIO/12975435

蒋顔沢

 蒋顔沢(JiangYanze、1975年-)はかつて鋳込み成形で器を制作する若⼿陶芸作家であった。⼤量⽣産において陶磁器が繰り返す作業に陥ることに違和感を感じたきっかけで、蒋は⼯業材料に着⽬し、オブジェを制作して⾃分の世界観を伝えるようになった。
 蒋の代表作《都市・⼭⽔》(2016年)は、主に⽔の濾過器や⾞の排気ガスの浄化に使⽤される「ハニカムセラミック」という⼯業陶磁製品から作られている。ハニカムセラミックは、無数の気孔があるため通気性が良く、作者は焼成したハニカムセラミックと未焼成のものを組み合わせ、ビル街や⼭を作り上げる。作品は、切る、壊す、つなぎ合うことによって斬新な都市の⾵景を表現し、さらに都市と⼈間の精神的な関係を表している。

《都市・⼭⽔》 ハニカムセラミック 蒋顔沢 2016年[15]

 同じ素材を⼤量に繰り返す⽅式は、強烈の虚しさをもたらす。空洞の機械的なハニカムセラミックス素材は、⼈⼯物として⼯業社会の進歩を反映している。それで構造されたオブジェは都市化と⼯業化の過程で⼈々が呈する⽣活環境と精神状態についての⼆重の考察を提⽰するものである。作品の⾵景は、機械的な秩序感が最⼤限に表現されていると同時に、⼭⽔をモチーフにした中国⽂学的なイメージが満たされている。

《残⼭剰⽔》 ハニカムセラミック・酸化銅 蒋顔沢 2017年[16]


 《都市・⼭⽔》シリーズは、造形的に⾃然な美を追求する作品ではないが、都市と⼈間の関係を探ることは蒋の制作意図で、ハニカムセラミックスを極端的に扱うことで⽣々しい迫⼒を感じさせる作品となっている。急速な経済成⻑と資本主義化によって⾼層ビルが建ち並び、近代的な⽣産⽅法が確⽴されるなど、都市化は現代社会における重要なテーマとなっている。この背景からハニカムセラミックスが誕⽣したのだが、⼤量⽣産の過程では、インジェクションモールドで型にパラフィンやオレイン酸などの化学物質が残留したり、焼成後に接着剤の刺激臭がするなど、環境汚染を避けることができない。素材の選択から制作⼯程まで、蒋の作品は世の中で唱えられる「ヒューマニズム」を⾵刺し、エコ問題を⼤切にし、⼈間と⾃然の調和を⽬指した。


鴻⾱


 鴻⾱(HongWei、1980年-)は、中央美術学院を卒業し、アメリカのアルフレッド⼤学で美術修⼠(陶芸)を取得した。鴻の作⾵は、単⼀の素材の限界を突破しようとする⼤規模なインスタレーションの傾向があり、多くの作品は、⻄洋のモダンアートの視点から中国伝統⽂化のテーマを考察することを意図している。シカゴ美術館のキュレーターは、「流⾏している幾何学的な抽象彫刻とは異なり、鴻偉は現代美術の素材や抽象的な形式を⽤い、古典的美学に対する独⾃の認識を表現している」と評価する。
 情報化が急速に進む現在の⼈々は、時間のスピードを昔より意識するだろう。それはおそらく、体に何らかの形で潜んでいる⼼理的な感覚ではないだろうか。鴻の作品《時間の断⽚化》(2015年)は、この感覚をインスタレーションの形によって表し、「歴史の流れ」のプロセスに断⽚的でありながら統⼀感のある形を与え、この抽象的な考え⽅を視覚化しようと試みるものである。この作品は、吊り下げたり溶接したりした⾦属や複合材料を⽤い、ろくろ成形の容器と再構成し、機械感が持つ混沌な形を作り出した。陶磁器、ステンレス、錆びた鉄⽚は、異なる時代に⽣まれ、当時の⽂明を記憶として反映した素材である。無関係に⾒え
る3つの素材の組み合わせは、実は作家の緻密なアレンジである。鴻は作品を通じて、歴史がどのような状態で存在しているのか、そしてその状態にどう対処するのかという2つの解釈を提案している。

《時間の断⽚化》 磁⼟・ステンレス・錆びた鉄⽚・鉄の網・ワイヤ 鴻⾱ 2015年[18]


 インスタレーションにおける陶磁器の配置は断⽚的であり、それを借りて歴史的な在り⽅を説明するというのが作者の考え⽅である。中国⼈アーティストとして、鴻は中国の伝統的な結晶釉を磁⼟製の壺の表⾯に加飾し、それらの壺をそのまま⽤いたり破⽚に砕いたりして組み合わせた。割れた伝統釉薬の磁器は、中国の伝統⽂明の衰退を象徴し、きらびやかな⽂明が時とともに忘れられていくことを⽰唆している。
 単に歴史の存亡を論じるのであれば、割れた磁器の説得⼒が⼗分である。しかし、その作品の中では、時間の変遷は必ずしも直線的で全体的なものではないと作家が設定した。ステンレス鋼管は全てのパーツをつなげる枠組みとして機能するにもかかわらず、作品の⾻格としてこの⼯業素材は、割れた磁器の破⽚を⽀え、過去の歴史の断⽚を再構築する現代の論理的思考を代表するものである。

《平衡の寓話#12》 磁⼟・ステンレス 鴻⾱ 2016年[17]

鴻⾱(HP・http://www.lihongwei.com/works.html


孫⽉

 孫⽉(SunYue、1989年-)の作品は、陶磁器、空間、時間を観察する体系的な研究法を呈する。彼⼥の創作テーマは、時間がもたらす変化の表現が多い。作品に対する思考の深さは、作家の年齢に相応しくなく、それは、陶磁器に触れ、それを扱う過程で素材のもろさを発⾒し、またそのもろさのような不可逆的な認識を通して時間や⼈⽣の本質を理解したことと関連している。したがって、孫の作品は陶磁器という単⼀の対象だけでなく、パフォーマンスや映像も含め、常に変化するプロセスを形成し、物事の衰えがもたらす感情を特定の視点から⾒ることができるようになっている。
 作品《待つ》(2019年)では、たくさんの新鮮な⽩バラと⼀本の⽩磁製の枯れた花を同じ空間に置かれ、共に時間の経過を設置されていた。時間が経つと共に、本物の花は徐々に枯れ、⾃然の衰えは磁器の枯れた花に徐々に同化し、その視覚的な曖昧さによって時間の経過が可視化できるようになった。

《待つ》 ⽩磁・⽩バラ 孫⽉ 2019年[19]


 《それと同時に》(2020年)は、孫が2022年に完成したインスタレーション作品であり、その作品は2つの空間に分けられており、中空の柱の上部にアオイゴケが植えられ、下部には⼿捻りの⼿法で作った⽣の磁⼟製の花が積み上げられている。4つの滴下装置が頂上からゆっくりと⽔を噴射し、⼀部の⽔は⼟に流れて上部の植物に栄養を与えていた。後の⽔は⼟を下部の空間に落ち、磁⼟製の花を徐々に沈め、それで「花」をゆっくりと溶かしていく。上の緑が活気に満ち、下の花が⽔に侵⾷される。時間の流れによって成⻑と消滅は同時に起こり、⽣命の変化がその作品からしっかり感じ取れる。

《それと同時に》 陶⼟・アオイゴケ・⽔・砂・ガラス・滴下装置 孫⽉ 2020年[20]


 孫によると、彼⼥が「時間」をテーマにした理由は、陶磁器そのものが「恒久」という性質を持っている素材だからだ。「鉄は錆び、⽊やプラスチックは古くなる。しかし陶磁器は何千年埋まってもそのままで、素材の硬度が⾼く、性質が安定し、これは⼈間の⽣命と⽐べると永遠と定義できる。」(孫)従って、陶磁器は時間が⽌まっているのと⾔えるだろう。孫の多くの作品は、陶磁器と他の素材を組み合わせて変化のコントラストを⽬指している。例えば、焼成した磁器と⽣の粘⼟、⽩磁と植物素材など、素材の性質差を利⽤して⾁眼で⾒える時間を表現しているのである。
 孫の初期の作品群も、時間を視覚化を試みる制作であった。作品のコンセプトを展開する段階で、異なる着⽬点から組み⽴て、⼈間そのものを探求するものに位置づけようとしても、「時間」には離れきれないと⾃覚した。彼⼥は伝統的な素材である陶磁器を様々な形で使⽤し、いろんな⾓度から⾒ることで、感情を持たず冷静に現実と仮想の境界を抹殺し、概念の形成や認識のプロセスを探っている。

孫⽉(HP・http://www.pearlartmuseum.org/cn/category/person-list/detail!Sun-Yue


【画像の出典元】
[1]福岡アジア美術館・コレクション・中国の作品⼀覧・シリーズ2No.3

https://faam.city.fukuoka.lg.jp/collections/2640/(2022年6⽉22⽇ 閲覧)

[2]・[3]・[4]・[5]・[6]・[7]⽅⼒钧当代艺术,油画作品-雅昌艺术家⽹

https://fanglijun.artron.net/works(2022年6⽉22⽇ 閲覧)

[8]⾖瓣电影海公⼦剧照

https://movie.douban.com/subject/25918694/all_photos(2022年6⽉22⽇ 閲覧)

[9]⾖瓣电影⽶开朗基罗的情诗 剧照

https://movie.douban.com/photos/photo/2693950731/(2022年6⽉22⽇ 閲覧)

[10]・[11]・[12]・[13]吴昊宇:从泥⼟中得来的真

https://www.chinadesigncentre.com/cn/works/haoyu-wu-a-cross-boundary-ceramic-artist.html(2022年6⽉22
⽇ 閲覧)

[14]吴昊宇:陶瓷边界

https://new.qq.com/rain/a/20200616a0s2c800(2022年6⽉22⽇ 閲覧)

[15]⼤道成器陶瓷的当代⾯孔

https://www.sohu.com/a/244449111_723073(2022年6⽉22⽇ 閲覧)

[16]残⼭剩⽔

http://www.iden.cn/home/showreel/detail?id=6347(2022年6⽉22⽇ 閲覧)

[17]・[18]年度艺术⼈物鸿韦:在纷繁复杂中探寻平衡

https://www.douban.com/note/610278757/?_i=59044840XyhQH-(2022年6⽉22⽇ 閲覧)

[19]・[20]孙⽉明珠美术馆

http://www.pearlartmuseum.org/cn/category/person-list/detail!Sun-Yue(2022年6⽉22⽇ 閲覧)